| 1989年6がつ.夜11時.ゴ‐----言葉では伝えきれない.あの恐怖の波の音この音のつぎの日は.当時19歳の俺には地獄のような日になるのは.おやくそくだった。
朝.目おさますと.一言ウルワツ行くよ.この一言が地獄?天国いや地獄なのだ
いつものように車に乗り込みウルワツを目指し40分程走るとウルワツ しか-しここから歩いてさらに40分.(当時ウルワツに行く道は細くバイクか歩くしかなかった)20分も歩いたころ飛行機がゴ‐‐‐‐‐いやこの音は昨夜の波の音?さらにパワ−倍増..さらに10分歩くと海がさくっと見えるポジションが有るいつもは
青い海しか見えないが今日に限っては白い.何故?もう10分歩くとウルワツ全体が見える.言葉がでない.でかすぎるマジでもうしっしん状態の俺お見てサイコ‐だと一言そうその人は隼人さん.マジかい.そんな俺おきにもせずいつものボスの小屋え急ぐ.隼人さんはマジで.でか波が好きな人だ.小屋に着くとすでにでか波好きのおやじたちが.メンバ‐は.かっちゃん.やまちゃん.きむさん.みんな日本人.かっこいい
(乾季のウルワツのメンバ-の人達)そのおやじ達がウルワツはでかすぎる.パダンにいくべと言うのだ.こんなにでかいウルは俺も初めて見たアタリマエ.俺じしん3回めのバリだった。(今思うとその後10年このサイズのウルは見ていない。)
そんなわけでパダン行き決定.俺はまだパダンお見た事が無かったそれに根性もないパダンはチュ‐ブの波.根性無しの俺はパスしてしった.おやじたちもムリに誘いもしなかった.という事で隼人さんおふくむ4人でいざパダンへ....
あっと時間が無いのでこのへんで.このつづきが聞きたい人は聞きたいと入れて下さい。
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